2020年5月24日

変な時間に目が覚めてしまった。現在午前2時。腹が減っている。仕方がないので何か食べながら読書でもしようと思う。久しぶりに本をたくさん読みたいという意欲が湧いている。

 

予定通り眠くなったので、昼寝を実施。目覚めよし。クルセーダーの作業の続きをやろう。これから履帯の塗装をやろう。もう少しで完成だ。戦車もなかなか面白い。

 

履帯を車体に取り付け、残っていた小さい部品をすべて接着した。完成が見えてきた。全体のタッチを整え、デカールを貼れば完成する。とりあえず小休止。急がず、慌てずに作業を進めるべし。

 

クルセーダー完成した。達成感はある。確かにある。しかし一方で、本当にこれでいいのか…という思いもある。大切な休日の時間を趣味だけに捧げていいものなのだろうか…と。何かやらないといけない事があるのではなかろうか…と。だからと言って考える事だけに時間を割いていたら、それはそれで生産性のない行動となってしまうので、手が動かせるのであれば、積極的に動かしていた方が健全なのではないかという考え方もある訳で。昨日の実家での件で、将来へのヤル気が削がれたのは事実。しかし、それを理由にして何もしないのも問題がありそうな。自分という人間は大した事ができないのは、自分が一番理解している。世の中を変えてやろう!…といった大儀がある人は、本当に素晴らしいと思う。自分は世間に対してアプローチしようとは今は考えておらず、それよりも自分自身の事で手一杯だったりするので、そもそも世間に関与・干渉している場合ではなかったりする訳で。でも、そんな態度がいけないのかなあ…なんて事も、頭の片隅で少しだけ思ってみたり。自分の事だけ考えていて何か問題でもあるのか。他者の事も考えてやらないといけないのか。「共感」は本当に必要なのだろうか。不謹慎と言われても、そんな風に考える事が自分は多い。つまり、社会性に欠けているのだと思う。だからこんな歳であっても独り身でいる訳で。まあ一人遊びで十分過ぎるくらいに楽しめるし、外出しないでいてもムチャクチャやる事…というかやりたい事があるので、むしろ一人でいた方が融通がきくので、それはソレで全く問題がない訳で。両親には申し訳ないけど、孫の顔を見せる事はないと思われ。子孫を残すという発想がないし、少子化は日本の国土面積や人口密度を考えるとむしろ健全な事だとも思っているので。だから自分が生きている間は、楽しい事だけをやっていたいというのが本心なので、大儀や志といったものが自分の中からは生まれ難いと思う。「~ができる様になりたい」「~が欲しい」といった、幼稚な欲はずっとある。それを目指すのは悪い事か?年齢を考慮して目標や課題を設定しないと世間では叩かれるのだろうか?理想はある。けどそれは社会に対してのものではない。それだけのハナシ。読書の続きをした後に寝るべし。明日からまたいつものくだらない仕事が始まるのだ。