2020年2月26日

「新型コロナ」という文字が世間を賑わせているけど、自分は最初、本気でトヨタがコロナを復活させたのだと思った。個人的には騒ぎ過ぎだと考えている。このウイルスに感染する確率よりも、交通事故に巻き込まれる確率の方が高いはず。それに携帯電話を使わなければ、もっと感染確率を低く抑える事ができるのではなかろうか。あんなに不潔な手でベタベタ触れたモノを口の近くに持ってきたら、そりゃ感染するでしょ。近年のインフルエンザの流行は、それが影響していると自分は考えている。だからと言う訳ではないが、自分は携帯電話を持っていない。自分が学生だった頃はそんなに流行していなかったし、インフルエンザの予防接種も義務だった頃にしか打った事がないし、かかった事もない。そもそもワクチンの中身が限りなく怪しいので、そんなものは打ちたくない。マスクも基本的にはしない。健康な人間がマスクを消費する必要はない。最近のマスクの大量生産・大量消費は環境保護に反する。ムダが多い。医療機関に勤める人間が書く内容としてはダメな内容なのかもしれないけど、個体としての人間の強さを上げる方が、コストパフォーマンスがよいと思う。適度にローテクノロジーな生活をするのがポイントなのではなかろうか。自分の家には電子レンジがないのだが、それを話すと「信じられない」と言われるのだが、意味が分からない。電磁波まみれの食品を食べる方が自分にとっては信じられない。自動車免許を持ってはいるが、パーフェクトなペーパードライバーである。自分一人を運ぶための道具であれば自転車で十分だし、徒歩でも問題ない。国内であれば鉄道利用で十分賄える。自動車の利用はロジスティックスだけでいいんじゃあないかい?一般人が利用する必要は限りなく少ない。そうすれば自ずと身体を使う事になるし、免疫力も少なからず向上する。病気も減る。いい事だらけ。でもそうはならない。「経済」の存在が邪魔をする。経済は、場合によっては、人の健康よりも優先される。だから日本(だけじゃないだろうけど)では過剰労働が問題となる。過労死も問題になる。金銭的な利益が過剰なまでに追求されると、人間は健康を損なう…これが持論。ハイテクノロジーの恩恵を自分も享受している事は間違いない。しかし過剰なハイテクノロジーは、確実に身を滅ぼす。「メディアリテラシー」という言葉がそこそこ浸透したとは思うのだけど、何でも新しいものを称賛するのはいかがなものか。造語だけど「テクノリテラシー」というものも考える必要がありそうな。「便利」は人を弱くするが、「不便」は人を強くする。もっと不便を楽しめる様な生活をしたいね自分は

 

レッド・ホット・チリ・ペッパーズのベーシスト、フリーによるコービー・ブライアントの追悼文の日本誤訳が素晴らしかったので、ここにメモしておく。

 

「彼のことが好きだったとしても、嫌いだったとしても、俺たちはみんな、その瞬間に完全に没頭することを強く願うものだ。これは人間として当然のことで、意識しようがしまいが、本物の幸福を実現する唯一の可能性だ。俺たちはそれを目撃し、それを感じたのだ。そして、その姿はすべての人々の心の垣根を越えた。彼が大好きだったよ。」

 

確かに、目の前の物事に没頭している時って、幸せだと思う。「今」を生きているという実感がある。過去や未来の事を考えず、ただただ「今」に集中している状態。それが本物の幸福なのかもしれないな。好き嫌いや得手不得手はともかく、自分の場合、絵を描いている時にその瞬間は訪れる。世間で言う「ゾーン」と呼ばれる現象。これを長い時間継続する事が幸福への道なのだとしたら、損得勘定を抜きにしても絵を描き続ける価値はある。上手くなる必要がなく、それで稼ぐ必要もない。ただ、その瞬間を味わうためだけに描く。「描く」という行為そのものが目的。楽しい時というのは、以外と「楽しい」という感情が湧かないものなのかもしれないな。