2020年3月1日

新型肺炎の感染が確認された箇所は基本的に消毒が行われている様だが、コレ、コロナウイルス以外の奴等も一緒に殺しているよね多分。基本的に悪いと思われている存在を征服・支配してやろうという発想。この考え方がそろそろ限界に達しているのではなかろうかと。そのツケが今になってやって来たのではなかろうかと。

 

ウイルスも基本的には生物。理由があって地球上で生存しているのであろう。突然変異的に発生したものであるのなら、人間が環境をグチャグチャにしたから発生したのかもしれないし。だとしたら、人間も環境に対して変化・進化しないといけない訳で。これはある意味ではチャンスとも言える。ヒトはそんなにヤワではない。免疫という仕組みが身体の中にあるのだから、それを更新する機会だと前向きに考えて鍛えてみるのも一興。クリニックに勤めていると、あまりにも何もしない人が多い事に辟易する。感覚的に、患者の中でコンスタントにトレーニングしたり、スポーツを楽しんでいる人は、50人に一人くらいの割合。そりゃあ身体もおかしくなるわ。身体を動かすという事は、つまりはシェイクする事なので、血を基本とする体液の循環を促す。それを行わないという事は、体液が上手に循環しないという事であり、つまり人体の機能が正常に働かないという事なので、そりゃあ怪我もするだろうし病気にもなりやすいだろうて。ついでにそれらの回復も遅い。簡単なエクササイズで体調が整うのに、それをやらない輩が多過ぎる。だから医療費は増える。しかし患者の人生にエクササイズを強制する事はできない。その人の人生なので、やりたくない事を押し付ける訳にもいかない。最終的に、病気や怪我を治すのはその人の身体および意思次第なので、悪循環は止まらない。今回の件は、そんな状況を変える機会となり得るかもしれない…のだけど、結局は悪者退治という発想になっちゃうのだろうな。ウイルスとの共存という考え方は無理なのだろうか。「無駄な殺生は慎むべし」と唱える宗教家であっても消毒で微生物を殺すだろうし、クルマで高速道路を走ってフロントガラスで小さな虫を轢き殺すだろうし。自分は、自分自身の身体のバージョンアップを目指す。そうする事によってウイルスに負けない身体を作る。状況を前向きに解釈してみる。凹んでしまう事もあるが、視点を変えて物事を見るのは大事だ。学ぶ事は沢山あるし、やれる事も結構ある。

 

起きてからずっと模型に色を塗っていたら、夜になっていた。小さな模型なのに、結構手間がかかる。塗装が遅くなったなあ…一日がとても早く過ぎてゆく。やりたいと思っている事を全てやろうと思うと、とてもじゃないが時間が足りない。そしてやりたい事は日増しに増える。寿命が200年くらいあればいいのだが。塗装をしている間、『ツルネ』を流していた。エンディングのスタッフロールで知っているコの名前を見付ける。そいつはもう現世にはいない。果たしてヤツは京アニで充実した時を過ごす事ができたのだろうか?…少なくとも、仕事を愛していた事は間違いない。それは自分に送ってくれたメールの文面で理解できた。ヤツの様な「生きがい」を、自分も見付ける事ができるのだろうか?…『ツルネ』は、とても丁寧に作られているアニメ作品だと思った。流石は京アニである。すごいスタジオでヤツは働いていたんだ。誇りに思うと同時に、そいつがもういないという現実を、改めて思い知る。やりたい事は、絶対にやっておくべき。老後の楽しみにとっておくのはよくない。ケーキのイチゴは真っ先に食べるべし。