2021年3月28日

起床。帰宅したのが26時なので起きたのが8時。まあタマにはいいんでないかい?ただし、時間を湯水のごとく使える訳ではないので、キッチリとやる事はやっておこうかなと。今のところ雨降っていないけど今日は本当に荒れるのか?

 

Yahoo!に掲載されていた、とあるインタビュー記事に書かれていた男性の発した「『ふつうに生きるのはあきらめよう』と思った」という言葉が、今の自分に妙に刺さる。自分もそんな心境ではある。いわゆる「普通」な生活・コトを、自分はできない。クルマの運転は下手だし怖いし(そもそも普通自動車免許を取得して20年近く経過するのに両手で数えられる程度にしか運転した事がない)、電子レンジもないし、携帯電話だってようやっと手に入れたくらいだし。なので自分も普通に生きるのは諦めようと思う。世間の提示する「普通」をなぞる事はせず、マイノリティの生活をする。それでいいと思った本日の昼。メシでも食うか。


21時。先週まではこのくらいの時間になると次の日の業務の事を考慮して寝る事を考え始めるのだが、今日は全く考えなくていいのだ。やりたい事があればもう少しやれるのだ。余計な事を考えず、シンプルに目の前に転がっている物事に集中できる。以前とは違う種類の責任を負う事にはなるのだが、それはとても心地よいものであり、まだまだやれるぞ今日という日は長いぞ…と思え、俄然前向きになれる。身体は正直で、無収入になった不安を明らかに訴えている。それは手足の緊張感だったり、顔面の硬直感だったり。でもそれは以前に経験済みであり想定の範囲内。むしろそれくらいの緊張感が出ないと何もしなくなるので、今の自分には好都合。目の前の物事に集中して取り組んでいる時、その緊張感は消失している。やる事やっていればいいのだ。さあまだまだやるぞ。外は雨が降っているよ。