2020年7月12日

只今午前0時30分。腹が減って目が覚めた。とりあえず即席ラーメンでも食べようと思う。そしたらまた寝る。

 

ランニングしようと思ったのだけど、気分的に乗らないから本日はパス。ひょっとしたら夜に走るかもしれないけど。昼寝を敢行し、ドアホンの音で起こされる。金曜日に注文したデュカン・スパイン50-60がもう到着した。デカイ。そして背面のフレームが力強い。ライトなデザインなのに剛性感が凄い。そのアンビバレントなプロダクトに感動する。二度書くけどデカイ。容量の大きいバックパック。改めてその大きさにも感動してみたり。コレを背負ってテント泊登山をしたいぜ。またはロングトレイルを歩きたいぜ。デュカン・スパインにしこたま感動したその後に近所のスーパーで買い物。久しぶりにカルビーのポテトチップを買って食べたのだが、あまり感動がない。身体がジャンクフードを受け付けなくなっている事に気付いた。これは前向きな変化だと捉える。しばらくの間はポテトチップを自動的に控える事ができそうだ。そして今日の教習を確認してみると、どうやら今日は実車に乗る機会がなさそうだ。シミュレーターと学科の教習との事なので、試したかった事ができない。しかも残りの教習が予定上では1時間のみ。水曜日の教習次第で卒業検定を受ける事ができるか否かが決まる。可能な限り最短で免許の取得を目指したいのだが、現状のスキルでは不安要素が沢山ある。どうなる事やら。それでも普通自動二輪免許を首尾よく取得する事ができたら、そのまま大型免許の取得を目指す事が自分の中での既定路線となっているので、大型教習時に再度スキル磨きを行えばいい…その様に考えている。車体と排気量が大きくなれば、それだけ勝手も違うのだろうが、操縦方法が変わる訳ではあるまい。アクセルとクラッチがあってブレーキがあってシフトペダルがあって…といった基本構造に変化はない。じっくりと取り組んで行きたいと考えている。

 

そして、今週の土曜日は7月18日。あの忌まわしい事件…京都アニメーション放火事件から一年の日。知人の安否確認のために何度も電話をかけた事を忘れるはずもなく、生存している事を願ったが叶わず。犠牲者として名前が報道されたのが10月だった。愕然とした。人生は、残酷なカタチで終える…と言うより、強制終了させられる事があるという事を、リアルに感じさせられる出来事だった。日々ニュースで流れる死亡事故もしくは事件を、自分は「対岸の火事」程度にしか感じていなかったのだが、この放火事件をきっかけに、重く受け止める様になったと思う。そしてこの事件以降、ポジティブな報道よりもネガティブな報道が増えた様な気がするのは気のせいだろうか。立て続けに台風による甚大な被害が各地で発生したり、オーストラリアでとんでもない森林火災が起きたり。そしてコービーのヘリコプターによる死亡事故。尊敬する野村監督もこの世を去り、豪華客船によって顕在化された新型コロナウイルス感染拡大。それによって志村けんの命が奪われ、現在にまで続く世界の混乱と混沌。「令和」という年号は呪われているのではないか…と思わずにはいられない。だからと言って卑屈になっている場合ではない。知人の死は、自分の人生において重要な意味を持つ。生きているのであれば、やりたい事をやるべきなのだ。そんなメッセージを自分は受け取った。少なくとも自分はその様に解釈している。知人は「死ぬまでアニメの仕事をやる。京アニでずっと働く」と話していた事を、実家を訪ねた時にご両親に教えていただいた。それだけアニメーションの仕事を愛していたという事であり、知人にとってアニメが全てだったのだ。それほどまでの情熱を注げる対象が自分にはない。しかし、やりたい事、やってみたい事は沢山ある。それらを生きているうちにやっておかないと、絶対に悔いが残る。いつ人生がゲームオーバーになるかなんて、自分では分からない。だからこそ、やりたい事はすぐやるべきだ。やりたくない事をやっている暇はない。いいトシこいて不安定な生活をしている自分ではあるが、安定していると面白くなくなる可能性もある。不安定である事が、実は理想なのかもしれない。よくよく考えてみると、「夢」と「職業」を混同させる様に世間は仕向けている。でも「夢」ってそんなモンではあるまい。何になりたいのか…ではなく、何がしたいのか。それが夢や希望というものだろ。知人はアニメーターになるのが夢だったのではなく、アニメを作る事、そしてそれを沢山の人々に観てもらう事が夢だったのだ。ご両親に、知人の仕事中の写真を見させていただいたのだが、本当にいい顔をしていた。やりたい事ができていて、そしてそれは、まだ発展途上であったのだろう。これからもっともっと活躍するはずだったのだ。今年は本当に先行きが見通せない。そんな時代だからこそ、やりたい事をとっととやっておかないと、本当に後悔すると思うのだ。一周忌を前にして、自身の方向性を見失わない様にしたい…と、改めて思った次第。「自分がオモシロイと思った事をヤル」。それが自分の方向性。そのために教習所に通っているのだ。また休業要請で閉じてしまわないうちに免許を取得するべし。こんな状況だけど、絶対に県外にも行くぜ。行ってみたい場所がある。死ぬまでに行っておかないと後悔する。コロナごときで挫けるはずがないのだ。