2020年4月4日

今、TBSラジオを聴いているけど、宮藤官九郎が出ている。要潤トークしている。始まる前に注釈アナウンスが入り、新型コロナウイルス陽性が判明する前に収録したものである事を説明していた。タイムリーな放送だなと。目的が「木梨の会。」なので前座的な感覚で聴いているのだが、小さな収穫ではあるな。

 

今年に入ってから、何かグッドニュースってあったっけ…そんな事を考えてしまうくらいにバッドニュースばかりが流れている用な気がする。これは終わりの始まりなのかもしれない…そんな大きな悪事を想像してみたり。ひょっとしたら恐竜は、氷河期によって全滅したのではなく、ウイルスによって滅びたのではないか。そんな仮説も立ててみたり。現在流行している新型コロナウイルスは、たぶんインフルエンザウイルスの様に変異もするであろう。そうなるとお手上げになってしまうのではなかろうか。変異する度に新薬を開発するハメになる。そんないたちごっこを繰り返しているうちに、ウイルスの変異速度が早くなり…要するに「進化」って事なのだが、それに人間の知恵が追い付かなくなり、人工が激減する。異性人が攻め込んできたり、第三次世界大戦が勃発したり、セカンドインパクトが起こったり、コロニー落としを敢行されたりする前に、ウイルスによってじわじわと人の数が減らされるのではないだろうか。そもそも人類の数は増え過ぎで、ヒト以外の生物が減り、樹林帯も燃やされ、海は油やマイクロプラスチックで汚され、大気は二酸化炭素で濁り、快適な生活を手に入れるために環境を破壊してきた訳で。そのツケが今になって顕在化してきただけなんじゃないかな。自分も沢山のアリを知らない間に踏み潰してきたし、蚊も叩き潰した。ゴキブリだって退治したし、最近ではネズミを始末したりもした。肉だって食べる。魚も食べる。かなりの数の命の火を消してきたのだ。ウイルスによって踏み潰される日が来てもおかしくはない。それが地球の、自然の、世界の応えなのだとしたら、変に抗うよりも、残された時間をよりよく生きる事の方が有意義なのではないか。そんな風に考えると、いつもと同じ生活をし、自分のやりたい事をとっととやっておいた方が、選択肢としてはベターだと思う訳で。なので自分は行動する。自身の幸福を追求する。だから、必要だと思ったら外に出るし、面白そうな事柄であれば、やっぱり外出する。不用な事なんて何ひとつない。ただし、一人で動く。自分以外の人を誘ったりせず、個人で活動する。家の中でじっとしているなんて事は…まあプラモデルを作って楽しんでいればできない事もないけど…やっぱりしたくないのだ。それより、やりたい事が外に出ないとできない事なので、不用ではないのだ。有用なのだ。家にいる事が現在のモラルである事は「一応」理解する。しかし国がよりよい社会のために政治を行うのではなく、権力や私利私欲のためにしか動かない事が分かった今、ただ死ぬのを待つなんて事はしたくないね。家でじっとしていれば、本当に明るい未来が開けるのかと言ったら、その可能性は低い…と自分は見積もる。だったら外に出て遊んだ方が絶対にマシ。繁華街に行く訳ではない。人が沢山集まる場所に行く訳でもない。なので自分は積極的に屋外に出るぜ。自分の世界を広げる可能性がある物事が家の外にあるからだ。理由はそれだけだ。